2012/11/21

見学会&セミナー終了 ありがとうございました

11月18日、住宅見学会と町家活生セミナーを実施しました。当日は快晴でした。
現場ではこの日のために、前夜遅くまで工事をしていただいたようです。

朝早くからたくさんの友人達が訪ねてきてくれました。

漆教室に使われる予定の椅子の座り心地を確かめる生徒さんたち。


家づくりにあたり、三澤先生が岐阜市内に設計したお宅を何軒か見学させていただいたのですが、そのお宅の方々も来てくださいました。

子どもたちの遊び相手をつとめてくれたのは、グリーンウッドワークの椅子づくり講座の参加者の方。(ありがとう!)

嬉しかったのは、この家づくりにさまざまな形で関わってくれた人が、実物を見て完成度の高さを喜んでくれたことでした。
提灯の説明をしてくれている、老舗の岐阜提灯の社長さん。紙を漉いた職人さんにもお越しいただきました。


「ナラ枯れ」の被害に遭ったナラの樹を切ってくれた林業の人たち。森林文化アカデミーのOBです。この樹、本当は何十年もかけて大きな家具用材に育てようと計画していたものでした。病気のために伐らなければならなくなったのを、三澤さんが住宅に使うことを提案してくれて、大黒柱やダイニングのカウンター、階段板などに生かされたのです。
ナラの樹と再会して、思いはひとしおだったようです。


京都造形芸術大学の通信制大学院の受講生の方たち。三澤先生の授業で、空き家だったこの家を改修する課題が出たことが今回の家づくりのきっかけとなりました。それだけに、見てもらえて嬉しかったです。4人の受講生のみなさんのアイデアも少しずつ実際に生かされています。
 
受講生4人と指導教官、みんなでポーズ!息もピッタリ!


午後からは、近くの場所をお借りして「町屋活生セミナー」が開かれました。前半は三澤先生、アカデミー同僚の辻先生、今回の家づくりを担当してくれた田尻さんからのレクチャー。
後半は、施工にあたった棟梁と現場監督、瓦屋さん、解体と基礎を担当してくれた業者さんによるディスカッションでした。築100年を超えると思われる家は、大きく歪んだり傾いたりしており、それらを直しながら増築部分と合わせて新しい家に改修していくのは大変難しかったそうです。普段なら聞けないこのような専門的な苦労話を聞くことができ、主催していただいた三澤先生にはとても感謝しています。

最後に棟梁の長屋さんから、とてもいい言葉をいただきました。「仕事が仕事を教える」。難しい仕事にあえて望んで取り組むことで、よりレベルの高い技術を身に付けることができた、ということでした。
みなさんからのお話を聞きながら、家づくりは住まい手個人にとどまらず、地域の共有の財産づくりなのだと思いました。
私自身も、岐阜・川原町の町並みの維持に少しでも貢献できればという思いがありましたが、今回は関わっていただいたみなさんがそれぞれにレベルの高い仕事を目指したことで、素晴らしいものが地域にできたし、数多くの知識や技術が蓄積され、継承されることになったのだと思います。


さて、日が暮れてからのお客さんには、温まってもらえるよう豚汁を準備。

庭木を剪定してくれた加藤さんも来訪。

リビング・ダイニングは、建築中は狭い印象でしたが、できあがってみるとずいぶん広かったです。10人規模の宴会もここでできそう。嬉しい誤算でした。
来てくれたみなさんと記念撮影。
朝早くから夕方遅くまで、たくさんの方にお越しいただきました。
この日のためにがんばっていただいた棟梁の長屋さんはじめ施工のみなさん、三澤先生はじめ設計のみなさんには心からお礼申し上げます。


長い一日を終えて散らかっている自宅に戻り、思わず気も抜けてグビ〜。
あぁ〜早く新しいお家に移りた〜い。

2012/11/17

見学会前日、あいにくの雨

いよいよ明日の見学会へ向けて追い込み、という日に、あいにくの雨。
古い塀を塗り直したりしたかったのですが、できませんでした。

室内では、建具、設備類が取り付けられていきます。
現場でノミやカンナを使っての建具の調整は、個人的にはずっと見ていたいのですが、あまり眺めていても職人さんたちの仕事の邪魔になるし、もどかしいです。



雨があがったのは夕方、あたりが暗くなってから。
天候の回復を待って始まった最後の外装作業が、遅くまで続きました。


明日は、晴れるようです。
多くの職人さんたちの努力の成果、晴天のもとで見ていただきたいです。

見学会〜直前情報

見学会を直前に控え、現場はスゴイことになっています。












2012/11/14

提灯

提灯は岐阜が全国一のシェアを誇る伝統的工芸品です。
円の漆の生徒さんの中に、老舗の岐阜提灯の社長さんがいらっしゃいます。「新居の照明を作ってあげるよ」と言ってくださったので、工事中の家を下見していただくことになりました。木と紙で栄えた川原町にちなみ、美濃和紙をどこかに生かせればと思っていたので、願ってもないことです。
試作品の提灯も持ってきてくれました。これはよく見ると、紙の覆い(火袋、ひぶくろというのだそうです)が二重になっています。

ちょうど設計の三澤先生が現場監査に来られている日だったので、お引き合わせしました。三澤先生も洗練された岐阜提灯に興味を持たれたようで、「他の物件にも使いたい」とのこと。こうして新しい出会いがあり、岐阜の物が新しい場所へと出ていくのは、私たちにとっても嬉しいことです。
ちなみに三澤先生がかぶっている将軍帽子も、社長さんが持ってきた提灯です。

その後、会社へも伺い、提灯に貼る紙を選ばせていただきました。手にしているのは、森林文化アカデミーでもお世話になっている美濃の手漉き和紙職人さんの漉いた紙です。これを使わせていただくことにしました。

帰りに提灯をつくっている作業場も見せていただきました。岐阜提灯は昔ながらの技術も守りつつ、一方で最先端の技術や素材も取り入れて進化を続けています。興味深い見学でした。

いろんな方に家づくりに関わっていただいて、幸せだなあと思いながら帰路につきました。



2012/11/12

助っ人たち

11月3日は、秋晴れの一日でした。この日、各地から助っ人が駆けつけてくれて、2つの作業をしました。

1つ目は、格子の塗装。東側の壁の一部が格子で覆われるのですが、それを他の壁の色に合わせて黒で塗る作業です。30mm角、4メートルのスギ材を250本、黒く塗っていきます。施工主の雛屋林材の作業場を使わせていただきました。


この作業のために駆けつけてくれたのは森林文化アカデミー卒業生でみずから「シルバーボランティア」と称する(笑)星野肇さん。星野さんはグリーンウッドワーク協会のさまざまなイベントでもボランティアスタッフとして活躍してくれています。星野さんは愛知県日進市から。そしてMs建築設計事務所より田尻さんと日野さん。いつもお世話になっています。田尻さんたちは大阪府吹田市からです。
4人がかりの作業で、9時から始めて3時すぎにはすべて塗り終わりました。

そしてもう1人、建築現場では加藤慎輔さんが庭木の手入れをしてくれていました。彼もグリーンウッドワーク協会のメンバーで、いまは大同大学の木工の技術員。木工を始める前は庭師だったので、これからうちの専属庭師として手入れしてもらおうと思っています。さすが地下足袋決まってるね〜。加藤さんは名古屋市から。

シンボルツリーのイヌマキの木がすっきり!さすがプロの腕前です。またイヌマキの根元もボサボサだったのですが、加藤さんがセンリョウやマンリョウ、ナンテンなど、縁起の良い植物が植えてあるのを見つけて残してくれました。私たちが自分でやっていたら、気づかずにむしってしまうところでした。きっと前の住まい手さんが植えてくれたものです。大事に育てようと思います。

このようにたくさんの人たちに支えられて、家づくりが進んでいくのでした。みなさんありがとうございました。

大黒柱の除幕式

10月31日、それまで保護紙に覆われていた大黒柱の除幕式?が行われました。
これが郡上市白鳥の山でナラ枯れのために伐られた、あのナラの樹です(過去の記事)。

被害をもたらした虫は乾燥過程で死んでいますが、虫穴があちこちに残っています。乾燥後に穴の周りに油のように滲みだしてくるものがあるのですが、原因は分かりません。
また、背割り(芯持ち柱の一面にあらかじめ割れ目を入れておくこと)をしなかったために、全面に割れが入っていますが、この樹が生きていた時の姿を思わせてなかなか良いと思っています。

この大黒柱を提供してくれた元同僚、山口博史さん。郡上市白鳥の広葉樹の森の手入れをライフワークにしています。2012年春からは奥さんの故郷オーストラリアへ移住して家具職人をやっています。一時帰国中に見学に訪れてくれました。ナラ枯れ柱と対面して歓喜の雄叫び!

2012/11/06

定期借地権のこと


川原町といえば岐阜市のなかでも一等地です。そんな所に私たちが家を建てることができたのは、本当にさまざまな方とのご縁があったおかげですが、もう一つ、地主さんと「定期借地権」契約を結ぶことができたからという理由もあります。

私たちは土地を買って新築するには資金が限られていたため、当初は郊外をあちこち探しまわっていました。しかし今はJR岐阜駅ビルにある漆教室を自宅へ移すことを考えると、通ってくる生徒さんたちのためにバスの便が良くなければならず、公共の駐車場も必要なので、結局この川原町周辺に行き着いたのでした。

一方、川原町に土地を探すうち、私たちは歴史あるこの地区ならではの事情を知ることになりました。かつて物流を川に頼っていた頃、ここは材木商たちの土場や製材所が並んでいたのだそうです。上流から流されてきた丸太を陸に揚げ、ここで建材などに加工され、流通していったのです。やがてそれらの土場は、鉄道の開通とともに岐阜駅前へ移っていったのですが、いまも川原町一帯は老舗の材木商さんたちが所有する土地がほとんどです。

その後、地主さんにお会いして事情を伺ってみると、地主さんもいろいろ大変なのだということが分かってきました。岐阜市の顔である古い町並みは残して行かなければならないけれど、残すための費用のほとんどは自己負担しなければならないこと。十数代も続く老舗では、自分の代で土地を簡単に売るわけにはいかないこと。土地を貸そうにも、一般の借地契約では借主が解除しない限りいつまでも契約が続いてしまうので、慎重にならざるを得ないこと。

何とかそのような問題を解決することができないかと調べるうち、「定期借地権」という比較的新しい制度があるのを知りました。これは一定期間だけ土地を借りて、期間満了後は土地を更地にして返すという制度で、期間は50年以上という長期です(一般定期借地権の場合)。つまり、自分が生きている間だけ土地を使わせてもらい、あとは地主さんに返却する仕組みです。借主側の権利が制限される分、地代が安く抑えられるのが一般的で、全国平均では50年分の借地料の合計が、購入する場合の土地価格の半分程度であるようです。

この制度を使って土地を借りることができれば、資金のほとんどを上物に使うことができ、古い町家を住みやすく、町並みにも合うように改修できると考え、地主さんにも提案してご了解をいただきました。50年もの期間の契約は地主さんにとっても初めてで、不安もあったようですが、決断いただいたことには感謝するほかありません。

この制度は地価が上がり続けたバブル期に、土地の購入代金を抑えるために編み出された制度のようですが、むしろこれからの時代に合った制度であるような気もします。今回のような、古い町並みが残る地域や、空き家が増えている中心市街地にも適しているのではないでしょうか。

子どもに不動産を残せないという点も、私たちは良い面もあるのでは、と思っています。子どもが土地のある場所に縛られることなく、自由に自分の人生を選ぶことができるからです。

一定期間だけ土地を借りて、期間満了後は土地を更地にして返す「定期借地権」ですが、今回の契約では川原町ならではの特約条項を入れてもらいました。それは、貸主・借主双方が合意すれば、建物を残したまま貸主に無償譲渡し、契約を満了するという条項です。いわゆる200年住宅とも言われる「長期優良住宅」を建てているので、50年の土地契約期間が終わったあとも、じゅうぶん価値のある住宅であってほしいと思っています。それを川原町の風景のひとつとして残してほしいという思いです。
地主さんとの契約では、そんなことを話しながら、「50年後にはお互い元気で契約満了パーティーをしましょう」と笑い合いました。そのとき私は95歳(笑)。身体も建物も元気でありますように。