2012/01/16

三澤文子先生との出会い

三澤文子先生は、数々の木造住宅を手がける著名な建築家です。僕が勤める岐阜県立森林文化アカデミーの設立時から関わり、2009年まで常勤で、いまも非常勤で教鞭を取られています。丸4年間、ほとんど毎日顔を合わせる職場の同僚だったわけですが、三澤先生の仕事をよく知るようになったのは、実は最近になってからです。

最初のきっかけは2009年、三澤先生が関西大学の授業を受け持つことになり、「想定施主」になってほしいと頼まれたことでした。僕がやっているNPO法人グリーンウッドワーク協会の本部事務所を学生に設計させるというのです。簡単に済ませるなら、架空の敷地、架空の施主を設定し、机上の設計をさせればいいのでしょうが、リアルな教育に力を入れる三澤先生からは「学生たちに測量させるから敷地を確保しておいて」と言われました。そして実際に学生たちが岐阜まで訪ねてきて、NPO法人の活動についての聞き取り調査、敷地の測量、周辺住民からの聞き取り、さらには材料を伐採することになる森林の見学まで行いました。その時のようすは、協会のブログにあります。
その後、学生たちはグループに分かれて設計を行い、模型やパネルを作って3ヶ月後に審査。僕とNPOの事務局長も審査員として関西大学に呼ばれ、審査に加わらせていただきましたが、どれも学生たちの熱意が伝わってくる出来栄えで、教育の中身の濃さに驚かされました。その時のようすはこちらです。「三澤先生はスゴイ!」以来、設計者としてはもちろんのこと、教育者として三澤先生を尊敬するようになりました。
僕が1位に挙げた学生グループの設計案(合成写真)。


そして翌2010年、三澤先生はこんどは京都造形芸術大学の通信制大学院の授業を受け持つことになり、ふたたび「施主になって」とお声がかかりました。僕がちょうど家づくりを考えていたため、「久津輪邸の設計」を授業課題にしてくれるというのです。で、また「敷地を確保しておいて」と言われました。そこで、住まい兼漆教室としては手狭だと考えていたあの川原町の空き家を「想定敷地」とすることにして、地主さんにも許可をいただきました。授業内容としては、空き地に新築の設計が良かったようですが、既存住宅の大規模改修に変更していただきました。
それにしても、あのとき三澤先生から声をかけてもらうことがなければ、今こうして川原町に住まいをつくるということにはならなかったと思っています。

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