2012/01/24

町屋活生セミナー

そして2011年8月27日、まず町屋活生セミナーが開かれました。地元・川原町の方に気軽に来ていただけるよう、会場は鵜飼い観光船待合所の2階です。
講師は三澤先生と、設計士として活躍しているWOOD AC代表理事の河本和義さん、森林文化アカデミー卒業生で有建築設計舎の坂崎有佑さん。テーマは、三澤先生が住宅を長く維持していくための「住宅医」制度の必要性、河本さんが改修による耐震性能向上、坂崎さんが温熱性能向上、についてでした。
そのあと、私が司会役を務めてディスカッションも行われました。
川原町の空き家の地主さんをはじめ、地元の方にたくさん来ていただきました。古い町家をどう維持していくかは、やはり関心の高いテーマなのだと思います。岐阜市役所のまちづくり推進部の方や、新聞社の方にもお越しいただきました。

実はまったく同じ日の同じ時間に、すぐ近くの長良川国際会議場で岐阜市の新しい複合文化施設の説明会が開かれており、世界的に有名な建築家、伊東豊雄氏のプレゼンテーションが行われていたのです。しかし翌日の中日新聞や岐阜新聞では、こちらのセミナーの方が大きく取り上げられていて、社会的な意義の大きさを改めて感じさせられました。

住宅を長く維持するにあたり安心して相談・依頼できる「住宅医」のような制度はこれから必要だと思います。特に川原町のような文化的価値のある町家の所有者の方たちにとっては、必要性が大きいと感じました。

三澤先生の事務所・Ms建築設計事務所のブログにも、当日のことが書かれています。
住宅医ネットワークのHPにもあります。
住宅医ネットワークのこちらのページには、三澤先生が私の発言について書いてくださっています。




2012/01/22

社会を巻き込む

2011年4月の調査から4ヶ月、受講生のみなさんの設計が終了。三澤先生からは「せっかくだから現地のあの町家で発表会をやりましょう!」「地元のみなさんに町家改修についてのセミナーもやりましょう!」と、提案がありました。
こうやって次々に社会を巻き込む形に持っていくところが、さすがだな〜と感心。
そして、立派なA4裏表のチラシが届きました。森林文化アカデミー卒業生で、今は三澤先生の事務所のスタッフとして働く福本さんがつくってくれたものです。



2012/01/21

京都造形芸術大学へ

2011年4月、家族で京都造形芸術大学へ。通信制大学院の授業の第1回目に、「想定施主」として学生さんたちに家づくりを依頼するためです。とは言ってもまだこの頃は、あの町家が我が家になるとは思っておらず、間取りなど具体的なイメージもなかったので、家族の自己紹介をしに行ったようなものでした。ちなみに受講者は4人で、学生さんと言っても大学院なのでプロの設計士さんもいらっしゃいました。
 ちなみに一家で京都旅行の機会をもらったので前泊したのですが、福が突然体調を崩し、夜救急病院へ!一時はどうなるかと思いました。翌朝、復活して「想定施主」の任務終了。やれやれ。

そして4月末、三澤先生と受講生のみなさんは岐阜の現地へ。我が家の現状を見ていただき、空き家の調査をしました。この狭い家が、住まい兼うるし教室になるのかな・・・まだ半信半疑ながら、少しその気になってきました。

2012/01/16

三澤文子先生との出会い

三澤文子先生は、数々の木造住宅を手がける著名な建築家です。僕が勤める岐阜県立森林文化アカデミーの設立時から関わり、2009年まで常勤で、いまも非常勤で教鞭を取られています。丸4年間、ほとんど毎日顔を合わせる職場の同僚だったわけですが、三澤先生の仕事をよく知るようになったのは、実は最近になってからです。

最初のきっかけは2009年、三澤先生が関西大学の授業を受け持つことになり、「想定施主」になってほしいと頼まれたことでした。僕がやっているNPO法人グリーンウッドワーク協会の本部事務所を学生に設計させるというのです。簡単に済ませるなら、架空の敷地、架空の施主を設定し、机上の設計をさせればいいのでしょうが、リアルな教育に力を入れる三澤先生からは「学生たちに測量させるから敷地を確保しておいて」と言われました。そして実際に学生たちが岐阜まで訪ねてきて、NPO法人の活動についての聞き取り調査、敷地の測量、周辺住民からの聞き取り、さらには材料を伐採することになる森林の見学まで行いました。その時のようすは、協会のブログにあります。
その後、学生たちはグループに分かれて設計を行い、模型やパネルを作って3ヶ月後に審査。僕とNPOの事務局長も審査員として関西大学に呼ばれ、審査に加わらせていただきましたが、どれも学生たちの熱意が伝わってくる出来栄えで、教育の中身の濃さに驚かされました。その時のようすはこちらです。「三澤先生はスゴイ!」以来、設計者としてはもちろんのこと、教育者として三澤先生を尊敬するようになりました。
僕が1位に挙げた学生グループの設計案(合成写真)。


そして翌2010年、三澤先生はこんどは京都造形芸術大学の通信制大学院の授業を受け持つことになり、ふたたび「施主になって」とお声がかかりました。僕がちょうど家づくりを考えていたため、「久津輪邸の設計」を授業課題にしてくれるというのです。で、また「敷地を確保しておいて」と言われました。そこで、住まい兼漆教室としては手狭だと考えていたあの川原町の空き家を「想定敷地」とすることにして、地主さんにも許可をいただきました。授業内容としては、空き地に新築の設計が良かったようですが、既存住宅の大規模改修に変更していただきました。
それにしても、あのとき三澤先生から声をかけてもらうことがなければ、今こうして川原町に住まいをつくるということにはならなかったと思っています。

2012/01/13

はじめての見学

家さがしは、円が漆教室をやっているJR岐阜駅ビルの家賃負担が大きくなったことと、福が生まれたので自宅と漆教室を同じところにしたいと思ったのがきっかけです。

予算はあまり多くないのですが、漆教室に来る生徒さんのために市の中心部で、公共交通の便が良く、車で来る人のために公営の駐車場が近くにほしい、という矛盾した条件で探していました。

そんな時、川原町地区のある地主さんから「漆教室に使うならいいのでは」と紹介していただいたのが空き家だったこの家でした。

この家の敷地、間口約4.3メートルに対して、奥行きが約27メートルもあります。長い!

はじめて中を見せていただいたのが、2010年の9月です。これはその時の写真。6畳、6畳、4畳半と続き、奥に台所があり、離れの風呂があります。
確かに漆教室としてはぴったりだけど、住まいと兼ねるとなると狭いので、ロケーションは素晴らしいものの候補としては考えていませんでした。

2012/01/12

川原町の家

 この町家を改修して、我が家にすることになりました!

この町家があるのは、岐阜市の川原町と呼ばれる地区。かつて斎藤道三や織田信長が拠点とした金華山のふもとで、長良川のすぐそばです。上流から運ばれる木材や美濃和紙の商いで、古くから栄えた町です。
通りの入り口には、長良川の鵜飼い乗り場。観光客で賑わいます。